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中森明2024年現在は?完全復帰はいつ?アイドル時代のスキャンダルの真相

中森明菜エンタメ
中森明菜

中森明菜はどんな人?稀代の歌姫ながらスキャンダルな人生

中森明菜さんは、1981年、アイドルのオーディション番組「スター誕生!」で山口百恵の「夢先案内人」を歌い、スタ誕史上最高得点の99点を獲得。

その翌年1982年、16歳のときに「スローモーション」でデビューしました。

・名前:中森明菜
・本名:中森明菜
・生年月日:1965年7月13日(58歳※2024年5月時点)
・身長:160㎝
・体重:非公表
・血液型:A型
・出身地:東京都大田区
・学歴:明治大学付属中野高等学校定時制中退
中森明菜さんは、本名と芸名が一緒なんですね。

中森明菜さんといえば、日本レコード大賞を受賞した「ミ・アモーレ」、「DESIRE」をはじめ、「少女A」や、「北ウイング」、「サザン・ウインド」など数々のヒット曲にも恵まれ、稀代の歌姫と呼ばれました。

16歳でデビューした中森明菜さんですが、「ミ・アモーレ」をリリースしたのは19歳。
19歳ながらにして、成熟した大人の色気や憂いを漂わせているようすは、今見ても魅了されます。

 

しかし、芸能生活は順風満帆とはいえず、1989年7月11日の自殺未遂事件、その後の金屏風会見事務所とのトラブルアルコール依存摂食障害など、多くのスキャンダルにも見舞われました。

2010年に45歳の時、体調不良を理由に無期限の音楽活動の休止を発表。

2014年には、NHK紅白歌合戦にサプライズ出演をしましたが、2018年に再度体調不良により活動を休止。

中森明菜は2024年完全復帰!?

体調回復に注力しながら、デビュー40周年の2022年8月には、再始動に向けて現在の個人事務所を設立

今年2024年に入ってからは活動を活発化し、5月1日のデビュー42周年に向けて、4月から毎週水曜日にセルフカバーをYouTubeで披露。

第1弾では、1988年のヒット曲「TATTOO」を配信し、ノリノリのピースサインもする元気な姿をみせました。

youtubeの反響は大きく第1弾の再生回数は500万回超えで、YouTube国内週間音楽チャート(4月5~11日)では8位を記録するほど。

今年7月には、ファン向けのイベントがあるそうですが、一般的なコンサートではなく、開催内容はファンクラブのみで発表のようですね。

5月中旬からの応募で、抽選のようです。心待ちにしていたファンにとっては、待望のイベントですが、チケット代はなんと7万円超!?

これはファンにとっては高いとみるか安いとみるか、、、。

今も語り継がれる「金屏風会見」とは

中森明菜謝罪会見

中森明菜謝罪会見

金屏風会見」は、中森明菜さんが1989年夏の自殺未遂後、その年の大晦日に行った謝罪・復帰会見のことです。

金屏風」の前で行われたことで、当時交際していた近藤真彦さんとの婚約発表ではないか、といわれました。

ただ、その会見で婚約発表はなく、中森明菜さんは、自身の自殺未遂をしたことやファンや多くの人に心配をかけたことへの謝罪

近藤真彦さんは同席し、中森明菜をサポートする姿勢を示しましたが、結婚については否定しました。

「金屏風」が用意されていたことから、「中森明菜さんは婚約会見のつもりでいたにもかかわらず、開始直前になって謝罪会見ときかされ、ショックを受けた」といわれてもきました。

「まだ心身の回復が十分でない明菜が、近藤とともに会見を開いた。明菜は近藤サイドから『婚約会見だから』と聞かされていたのが、開始直前に『謝罪会見』と説明され、何が何だか分からないまま会見に臨むことになったのだと。会見ではリポーターから『結婚は?』の質問がありましたが、近藤は『そういうことは全くありません』と断言。これで明菜は二重、三重に傷つけられたとされました」(ベテラン芸能記者)出典:アサ芸プラス

ただ、これは全くの事実無根で、中森明菜さんの淡いグレイのスーツという地味な服装からも、中森明菜さん自身も謝罪会見のつもりでのぞんだものだったようです。

近年になって、このストーリーがいわゆる「都市伝説」であることが、ほぼ明らかになっている。ベテラン芸能記者が続けて明かす。

「あれは最初から明菜の復帰会見と決まっていました。大晦日の3日前、彼女はデビュー当時から所属していた『研音』を正式に退社し、ワーナーレコードが90%出資して発足した新事務所『コレクション』で活動していくことが発表されていました。しかし明菜本人から、年内に元気な姿を見せ、自分の口から言いたいとの希望があり、急遽、会見を開くことになったんです。しかし、NHK紅白歌合戦の裏にぶつけてきたのは、あまりに配慮がなかった」

「金屏風」は当時会見を開いたホテル側が用意したもので、明菜さんの復帰会見でめでたい席だから、と準備したものが誤解を招く結果になったようです。

中森明菜の自殺未遂は近藤真彦との破局騒動が原因?

中森明菜と近藤真彦

中森明菜さんと近藤真彦さん

交際していた近藤真彦さんの部屋で自殺未遂をしたことから、近藤真彦さんとの破局騒動によるものとも騒がれました。

ただ、中森明菜さん自身は、破局が原因ではなく、信頼していたからこそ近藤真彦さん宅での自殺未遂だったとしています。

「自分が一番信頼できたたった1人の人だったので、近藤さんの部屋に行ってしまって。最初に見つけてほしいなと思って」(明菜)出典:デイリー新潮

その後の自殺未遂の理由としては中村明菜さんが語ったのは、「私が仕事をしていく上で一番信頼しなきゃいけない人たちを、信頼することが出来なくなってしまった」ということで、事務所や家族との確執もあったようでいろいろな心労が重なったのでしょうか。

ただ、当時は「将来2人が住むマンションの費用」という名目で、中森明菜さんが、近藤真彦さんに多額の金銭を貢いでいたともマスコミは報じていて、近藤真彦さん側はマネージャーが持ち逃げした、としているものの、実際に7600万円の振り込みはされていたそうです。

そして、7600万円を持ち逃げしたとするマネージャーも実際は持ち逃げはしていないとしています。

「私は16歳の時にジャニーズ事務所に入り、田原俊彦、近藤真彦、少年隊などのマネージャーを務めました。20年の区切りで、一旦芸能界を離れようとジャニーズ事務所を辞めたのですが、その後、私がお金を持ち逃げしたという噂を聞きました。真実は一つ、分かってくれている人は分かってくれていると思ったのですが、芸能界に戻った後、その話を持ち出し、『申し訳ないけど、一緒に仕事をやり辛いよ』と露骨に言う人もいて、影響がありました。私はそんなお金は一切知りません。私がジャニーズ事務所を辞めたのは、明菜さんの自殺未遂の後だったので、全部私に被せたのでしょうか。出典:文藝春秋digital

この件については、中森明菜さんが返金を求めた形跡もないことから、周りが騒ぎ立てているだけともいわれていますが、中森明菜さんからしてもこういったトラブルも原因のひとつだったのでしょうか。

苦悩の中にいた?36年前との歌い方の変化

東洋経済オンラインでは、5月9日の記事に、「中森明菜復帰後の歌唱表情に見る36年前との変化」と題して、1988年と2024年の歌い方を比べ、彼女が歌に込めようとした意図を表情分析の視点から考察しています。

リリース当時の歌唱中の表情には、八の字眉、微笑、カメラ目線が目立ちます。特に、八の字眉が特徴的です。八の字の眉は、眉の内側が引き上げられると生じます。悲しみや苦悩、共感を抱くときに生じる表情です。救いの手を差し伸べてもらう可能性を高める、あるいは、差し伸べてもらいたいときにする表情です。出典:東洋経済オンライン

1988年は悲しみや苦悩の表情がある一方、2024年の歌い方では、中森明菜さん自身のアレンジも入り、自然な歌い方のようですね。

目立つ表情は、閉じ気味の瞼。目線の先は、意識が向かう先です。瞼を閉じるということは、意識が自分に向かっていることを意味します。

閉じ気味の瞼に、時折生じさせる熟考表情、そして、微細な八の字眉、微笑。複雑な表情のコンビネーションです。意識を自己に向け、歌詞と曲と自己の歌声の重なりが生み出す複雑な感情を味わい、あるがままを表現している。このように考えられます。出典:東洋経済オンライン

1988年、人気絶頂のなかでは、多くのトラブルにもまみれていて、つらいことも多かったのでしょうが、今、自然体で歌えるようになったのは素晴らしいことですね。

中森明菜の復帰を喜ぶファンの声

トップアイドルとして君臨しながらも、順風満帆な人生とはいえないようですが、それでもyoutubeでの元気な姿をみてファンの喜びの声も多いですね。

長く活動を休止していて体調も心配されますが、稀代の歌姫といわれた、圧倒的な歌唱力がどのように復活するのか、これからが楽しみですね。

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